いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター(IMC)という団体があります。
HP→ http://ijimemental.web.fc2.com/

職場でのいじめ、職場が原因の心の病に苦しむ人々を支援している団体です。

メンタルヘルスに関する書籍も発行しています。(ホームページから書籍へのリンクは切れてました。)

現在、当センターでは「ゆったり働こう キャンペーン」を行っており、その活動を専用ブログで知ることができます。

7月16日には大阪市で「職場のストレスはイヤ! ゆったり働くためのシンポジウム」と題したシンポジウムが開催されました。

その案内のパンフレットに書かれた言葉の一部が心に刺さります。

「働きすぎて、倒れる人をなくしたい。ストレスが高くて、お互いにいがみ合ったりしたくない。」
「ゆったり働きたい・・・・けど、長時間労働に加えて、余裕のない職場環境。ストレスのはけ口としてのいじめ・パワハラの横行。ゆっくりと、そしてゆったりと働きたい。」

数年前までの自分でしたら、「バカ言ってるんじゃないよ。仕事にストレスは付き物、出来が悪いやつが会社に貢献するには少しでも長い時間働くしかねえだろ!同僚と仲良くしてどうする?」と感じていたと思いますし、部下に言われたら言い返していたことでしょう。

「ゆったり働きたい。」と言われたら、

「何様だよ。いらね。」と返していたことでしょう。

上司・部下の関係においてに限定されるおはなしですが…被害を受けている立場の方々にとっては、いじめ・パワハラと感じることであっても、実はそれをしてしまっている当の本人(上司にあたる人)には、そんな意識がないことも多いと思います。彼らは目標を達成するためには部署を厳しく指揮、指導します。それが業務ですから。その行いの中で、棘や刃物のような言葉を吐くことがあるかもしれません。より確実に目標を達成できる人員構成に転換することもあるでしょう。必ずしもすべての言葉や行動が悪意に満ちたものではないことは理解していただきたいのです。それによって心に傷を負った方にとっては言い訳にしか聞こえないでしょうけどね。

それが中間管理職歴が長い筆者の本音だったりします。

正直に言えば、当シンポジウムのテーマとなっている「ゆったり働く」という言葉には違和感を覚えます。

管理職からしてみれば身を粉にして働き、成果をあげる者こそ尊く、ゆったり働かれては困るのです..

ブログには「ゆったり働く」ことには色々な意味がこめられている、とあります。

それは単なる時間短縮を意味しているのではなく「働きがいのある人間らしい仕事」に意欲を持って、適切な時間取り組み、収入を得る。乱暴にまとめるとそのような意味合いになると解釈しました。

「働きがいのある人間らしい仕事」をつくるのは会社の責任だと思います。

「仕事は自分で作るものだ!」「自分で仕事を作れないような奴は駄目だ!」言われたことがありますか?経営側の視点から言えば、これ正論だと考えます。しかし前提があります。

働きがいのある仕事、職場は会社が作るべきものです。

人間らしい仕事は会社が作るべきものです。

人間らしい仕事をどのように解釈しましょう?

個人的な考えで恐縮ですが、私はこれをしっかりと休息をとって、健康を害することなく働ける仕事、とは解釈しません。

人のためになり、社会のためになり、そして利益を生み出せる仕事と解釈します。心身ともに無理のない仕事など存在しません。ただし、その仕事によって誰かが望むこと、ものを手にしている、利益を得ていることが明らかならば、精神の安定、平静、そして前向きな気持ちを保つことは難しいことではありません。個々の仕事のベース、核となる業務を会社は創り、揺るがない理念を持って推し進めなければなりません。そして社員は基幹業務をより発展させるための個別の業務を創出し取り組むのです。その過程では心の疲れ、身体の疲れを感じることもあるでしょう。しかし、多くの場合、その疲れは成果を生みますし、利益と評価を生み出します。幸福へと繋がっていると考えます。

キレイ事、理想論と揶揄されますか?

まさに企業自身がこれらの事をきれい事と考えるからこそ、働く人々にただただ無理を強いて、壊してしまうのです。理念をもたずに会社を運営するからこそ目先の利益にだけフォーカスしてしまい、人に迷惑をかけてでも利益を追求するのです。多くの人々の不幸と、一瞬の、不安定な利益のために働き続け、そして経営者によって搾取される労働者は不幸です。偽りのない企業理念を持っている会社に入れば、仕事はきつくとも心を病むことはないと思います。なぜならあなたの仕事は誰かを幸せにしているから。そして不特定多数の人々の幸福はあなたの幸福を創りだすものと考えますが、いかがでしょう?